東京都町田市熊ケ谷
東京出張のついでに、三田市とゆかりの深い白洲次郎・正子夫妻の邸宅跡「武相荘(ぶあいそう)」に行ってきました。
外観のかやぶき屋根はもちろん、白洲邸の内部も当時の生活のままの状態で保存されており、中を見学することができます。ちなみに「武相荘(ぶあいそう)」という名称はここが武蔵の国と相模の国の間に位置していることと、「無愛想」とかけたことが由来だとのことです。
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白洲次郎とは?
そもそも『白洲次郎』という人物をご存じでしょうか?2009年にはドラマ化などもされているためご存じの方も少なくないかもしれませんが、簡単に解説させていただこうと思います。
GHQと渡り合った従順ならざる唯一の日本人
白洲次郎は元三田藩の士族というルーツを持つ兵庫生まれの偉人です。
第二次世界大戦が始まる前から日本の敗戦を予感していたようで、その間は鶴川に移住して農業に取り組んでいたとのこと。そして戦後、旧知の間柄である吉田茂首相に請われてGHQとの交渉に参加。敗戦で自信を失い言われるがままの日本政府の中で対等にGHQと渡り合い『従順ならざる唯一の日本人』と評されるほど豪気な人物だったようです。そして、その尽力で日本国憲法の成立に大きく貢献しました。
エピソード①「サンフランシスコ講和会議」
吉田茂首相が当初、英語で演説する予定であったサンフランシスコ講和会議に白洲氏は全権団顧問として同行しました。しかし、外務省の役人が書いた英語の演説原稿を見て激怒。なぜならこの原稿にはGHQとの相談の下、GHQに対する美辞麗句が並べられていたのです。
白洲氏は「講和会議とは、戦勝国の代表と同等の資格で出席できるはず」と主張し、日本の「尊厳」という重要な価値観を守るために急遽、原稿を日本語に書き直すことに決めたとされています。
エピソード②「ケンブリッジ仕込みの英語」
若くしてイギリスに留学し、名門ケンブリッジ大学で英語を学んだ白洲氏。彼は階級社会であるイギリスでは上流階級の人間が使うとされる格式高いアクセントまで身に付けていました。
ある時、GHQの高官から「あなたは日本人なのに英語が上手ですね」と嫌味の入り混じった賛辞を受けた白洲氏は返す刀で「あなたの英語ももう少し勉強なされば一流になれますよ」と返したと言われています。これはアメリカ英語を使うGHQの高官に対して、名門大学で学んだ格式高いイギリス英語を駆使する彼の意趣返しだったのかもしれません。
妻・白洲正子
彼女は薩摩藩士の血を引く樺山伯爵家に生まれましたが、いわゆる甘やかされたお嬢様として育ったわけではありませんでした。彼女は14歳の時に女性として初めて女人禁制の能の舞台に立ち、自分の足で歩くことを信条に掲げ、随筆家として東奔西走する姿から「韋駄天お正」と呼ばれるほど行動力にあふれた女性であったと言われています。
その後、白洲次郎氏と出会い、互いに「一目惚れ」した二人は結婚。豪気な性格の次郎氏と負けず嫌いで行動派の正子氏の夫婦は、お互いに最大限に自分を主張しながらも、対等な夫婦関係を築いていたとされています。
白洲次郎と車
白洲次郎氏が17歳の時に父・白洲文平氏から買い与えられたといわれるツーリングカーの同型車が展示されていました。
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オイリー・ボーイ
白洲氏は若いころから熱烈な自動車マニアであり、「毎日のように油にまみれながら車をいじっている人」という意味で「オイリー・ボーイ」と呼ばれていたそうです。国産・外車問わず様々な自動車を乗り継いできた白洲氏は、1980年代にトヨタの開発した「ソアラ」という当時最新の高性能車にも興味を示していました。その「ソアラ」の開発者に手紙で初代「ソアラ」の問題点を伝えたというエピソードもあります。そして、実際それは的を射ていたようでそれが2代目「ソアラ」へと生かされたとのこと。さすが「オイリー・ボーイ」の呼び名は伊達ではなかったようですね。
白洲次郎が愛した料理
武相荘にはレストランも併設されており、お勧めは海老カレー1900円。店員さんが、「次郎さんはキャベツ嫌いでしたが、千切りキャベツにカレーをかけると食べてくれたみたいで白洲家の定番になりました。」と教えてくれました。もちろん取材時も千切りキャベツにカレーをかけて食べてみました。
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カレーの食べ方に見える白洲イズム
ヨーロッパの国々では基本的にスプーンはスープ系の食事にしか使わない習慣があり、イギリス留学で英国紳士の振る舞いを身に付けた白洲氏もカレーを食べる際にはフォークを使っていたそうです。
英国仕込みのマナーや振る舞いを日常の生活の中でさえ、埋没させず実践する徹底した哲学はまさに白洲次郎という人物を端的に表していると言えるでしょう。