尼崎寺町~七福神めぐり~

阪神尼崎駅前写真

崎駅(阪神線)から歩いて「七福神めぐり」ができるのを知っていますか?
駅を出てすぐの「あまがさき観光案内所」で朱印用色紙を購入して、開運・招福の旅に出かけてみましょう!

出かける前に…~尼崎寺町について~

 尼崎市の中心部にある仏教寺院が集まる地域、寺町。元和3年(1617-第2代征夷大将軍・徳川秀忠の時代)に徳川の家臣・戸田氏鉄(とだ うじかね)が尼崎城の築城を命じられた際に城下町形成の一環として寺院のみを集めて作った町だそうです。商人や職人がいる城下町からは離れた外郭に置くことで寺院の力を弱めるとともに、巨大な建築群を壁のように配置し、城に対する防備に役立てる狙いがあったとも考えられています。
 そういった理由で寺町には現在でも多くの寺社仏閣が残っているわけですね。

朱印用色紙を購入しよう!

 駅を出てすぐの「あまがさき観光案内所」で朱印用色紙を500円で購入することが出来ます。
色紙を購入しないと七福神めぐりが出来ないという訳ではありませんが、色紙にはなんとあのアニメ「忍たま乱太郎」の原作者・尼子騒兵衛氏がデザインした七福神のイラストが描かれており、旅の記念になるのはもちろん、お子さんやお孫さんを連れて七福神めぐりをする場合は喜ばれるのではないでしょうか?

ちなみに色紙に押す朱印は各寺社に設置されているかわいい七福神スタンプがあるのでスタンプラリー気分で押してみてください。

七福神めぐり担当寺社

尼崎えびす神社

 七福神の中では最も有名な神様ではないでしょうか?見上げるほどの大きい鳥居をくぐった先に拝殿があります。他にも触った所を癒やすご利益のある「恵比寿様の石像」や「勝負運の願掛け馬・勝ち馬さん」などがあり、とても楽しくお参りできるようになっています。

担当する福の神:恵比寿様

 他の七福神とは違い唯一日本古来の福の神。古くは漁業の神様でその後、現代のイメージの商売繁盛の神様として定着したようです。また恵比寿様は「耳が遠い」という特徴を持っているらしく、願いがしっかりと届くように恵比寿様を祀る神社では本殿の正面だけではなく裏側にも参拝する風習があるそうです。

貴布禰(きふね)神社

 福禄寿を担当されているこちらの神社は「尼のきふねさん」と呼ばれ地域の人たちから親しまれているようです。また尼崎のだんじり祭りで有名で、なんと約300年の伝統を持っているそうです。全国でも珍しいだんじりをぶつけ合う「山合わせ」が見どころ。
祀られている神様は「高龗神(タカオカミノカミ)」という水源の神様。

担当する福の神:福禄寿

 中国の道教における三徳を具現化した神様。現在では七福神の一柱として長寿をもたらす神様となっています。モチーフはいわゆる「仙人」であり、背が低く長い頭で長いひげを生やし、大きな耳たぶをしているのが特徴です。
 また、同じ七福神のメンバーである寿老人と名前が違うだけで同じ存在とされる場合もあるそうです。

本興寺

 法華宗本門流の大本山。法華宗のお坊さん・日隆聖人(にちりゅう)に当時の尼崎城主が男児誕生の祈願を依頼。それが成就したことに対するお礼として建立されたそうです。
 また重要な文化財も多く保存されており、毎年11月3日の「虫干し会」で一般公開されています。織田信長によって出された禁制(禁止事項などを通知する文書)や天下五剣の一振りと称される名刀・数珠丸などが見られる年に一度のチャンスなので興味のある方は是非。

担当する福の神:大黒天

 現在は七福神の一柱として財福の神様として認知されていますが、元々はヒンドゥー教の神様。日本には密教を通じて伝来したそうです。この大黒天様も「仙人が」モチーフとなっており、笑顔で米俵に乗っている姿は広告や商品デザインとしてもよく目にすると思います。またそばにネズミを連れているイメージもありますがこれは大黒天が日本神話の神・大国主命(オオクニヌシノミコト)と習合したときに付いてきたものだそうです。というのも大国主命は古事記においてネズミに助けられた逸話があるからなんです。

長遠寺

 日蓮宗の日恩上人というお坊さんが1350年に創立したと伝えられています。国の重要文化財に指定されている本堂と多宝塔は一見の価値あり。また、絵画、工芸などの指定文化財も収蔵されています。余談ですが本堂の前に植えられた南国感のある植物は蘇鉄(ソテツ)で日蓮宗のお寺ではよく見かける木だそうです。

担当する福の神:毘沙門天

 元々は古代インドの財福の神様で仏教に取り入れられ、毘沙門天となりました。仏教においては仏法を守護する四天王の一人で一般的なイメージとしては武装した姿で描かれることが多いと思います。その姿から武運長久や勝利をもたらす神様として、聖徳太子や上杉謙信などの武将が篤く信仰していたそうです。

大覚寺

 605年に聖徳太子が百済の僧・日羅上人に命じて建立させたと言われています。現存する尼崎最古のお寺とのこと。節分の日に行われる、からくり人形による演劇や狂言でも有名。特にからくり人形はコンピューター制御によるエアーシリンダーの伸縮によって動かすため、本来のように人が紐を使って操る必要がないそうです。毎年2月3日の午前8~午後5時まで上演が行われているそうなので気になった方は是非訪れてみてはいかがでしょうか。

担当する福の神:弁財天

 ヒンドゥー教における水や芸術、学問などの知を司る女神「サラスヴァティー」が仏教が発展していく中で弁財天として取り入れられ音楽や知恵、長寿、富を与える守護神としての性格を持つようになったと言われています。一方で日本では弁財天のオーソドックスなイメージである琵琶を持つ天女以外にも武器を持って戦う姿で描かれることもあるそうで、これは日本土着の蛇の神様と習合された結果と言われています。
 このように様々なご利益を持つ弁財天ですが元々水に関連する神様であることと、名前に「財」という感じが使われていることから、水辺にある神社やお寺でお参りするとより効果が高まるとされているそうです。

法園寺

 1561年(室町時代)に浄土宗の僧・勝誉恵光法園上人により創設されたと伝わるお寺。境内には豊臣秀吉に切腹を申し渡され非業の死を遂げた佐々成政(さっさなりまさ)という戦国武将のお墓があります。成政には「さらさら越え」というその勇猛さを示す逸話をがあり、豊臣秀吉と対立し孤立した際、徳川家康や織田信雄に協力を求めるために真冬の北アルプスを越えるという離れ業を行ったというものです。戦国武将に興味のある方は是非。

担当する福の神:布袋尊

 布袋様として慕われる神様。恵比寿様に次ぐ人気ではないでしょうか?布袋様は中国に実在したと言われる伝説的な仏僧・契此(かいし)がモデルとされています。彼は常に食べ物や日用品を入れた大きな袋を持ち歩いていたことから「布袋」というあだ名で呼ばれるようになったそうです。
 そんな布袋様は日本では鎌倉時代に伝来し、水墨画の題材や福の神として人気に。恵比寿様もそうですがニコニコと笑顔を浮かべている様子とそのふくよかな姿は人間にとって豊かさと安寧をもたらす福の神を連想しやすいのかもしれませんね。
 布袋様がもたらす福は「夫婦円満」・「財福上昇」・「笑門来復」などが挙げられます。

常楽寺

 1504年に心誉浄雲上人(しんよじょううんじょうにん)によって開基(寺院を創立すること)されたお寺。心誉浄雲上人は平安時代後期(971年~1029年)に実在した天台宗のお坊さんで、日本最古の仏教説話集『日本霊異記』にたびたび登場し、悪霊や鬼を退治したというエピソードが多く残されています。
 ちなみに1029年に没した心誉浄雲上人がなぜ1504年に常楽寺を開基しているのかというと、彼の遺志を受け継いだ弟子が開山(寺を建立する)したためです。開基と開山は分けて使われる場合があり、常楽寺に関しては開基したのは師である心誉浄雲上人で、開山はその弟子という体裁をとっているようです。すでに故人である心誉浄雲上人が開基したとされている理由は、遺志を継いだ弟子たちの開祖である心誉浄雲上人への敬意からだと思われます。

担当する福の神:寿老人

 中国の道教における神仙(神、または神通力を得た仙人)の一人でカノープス(南極老人星)の化身。日本では七福神の一柱として知られていますが、元々は先述した福禄寿と同一視されていました。描かれる姿も「ひげを蓄えた、杖を持つ老人」とかなり似通っています。福禄寿と違う特徴を挙げるとすると「長頭で鹿や桃やうちわなどを連れている」などでしょうか。あまりにも似ているからか片方しか描かれないという気の毒なこともあるようです。
 日本では平安末期から鎌倉時代初期にかけて道教思想が伝来し、仏教と混合することで七福神信仰が発展したと言われています。そのため道教の神仙である寿老人や福禄寿などもその際に仏教的な解釈を加えられ、七福神の一員になったと思われます。

 もたらす福は長寿と健康。

まとめ

以上、個性豊かな七柱の神様たちと担当する各寺社の背景を簡単に解説させていただきました。七福神でひとまとめに認識するよりも個々の神様のキャラクターや成り立ちを知っていたり、各寺社の歴史を少しでも知っている方が実際に足を運んで七福神巡りをする際に感じるものがあると思います。この記事を読んでくださった方は是非、尼崎七福神巡りへ行ってみてはいかがでしょうか。

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